”ホームレスの自分”と”今の自分”、どちらが自由か考えてみた

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僕は「究極の自由」に対する並々ならぬ憧れがある。

しかし、「究極の自由」が何か良く分かっていない。

※当記事は
「自由 ホームレス」
「自由 選択肢」
「自由 目的論」
などのワードで検索される方におすすめです。

一般的な自由とは?

一般的には,心のままであること,あるいは外的束縛や強制がないことを意味する。

引用:自由(じゆう)とは – コトバンク

一般的な認識では、強制や束縛が何も無い事が自由となる。
ということはつまり、この日本で普通に生活することは不自由ということである。
単純だが、税金や年金を常に払い続ける必要があり、法律に束縛されているからである。

また、家族や車など、何かしら大切なものがあるならそれも自分を不自由たらしめるものとなり得る。
それを守るために行動が制限されてしまうからだ。

このように、もし自由を「束縛や制限が無いこと」として捉えるならば、現代社会において自由を追い求めることはタブーそのものと言える。

しかし、僕の「自由」の認識は違う。

僕にとっての「自由」

僕は、「選択肢が多い事」を自由と捉えている。
これは、以前紹介した「オープンワールドゲーム」に関する記事でも話している。

上記記事の中で、「ゲームにおける自由度とは、選択肢の多さである」と書いた。
現実でも同じことだと思っている。

現実というのは、あらゆる選択肢の中で最善のもの、いや、”自分が最善だと思うもの”を選択しながら生きている
(もし「常に最善のものを選びながら生きないといけない」という考えなら、それは一気に不自由な人生となるだろう)

そしてその”選択肢”というのは実はかなり多く、少なくとも今の私は自由そのものである

この「選択肢」について、「7つの習慣」という本の中でかなり分かりやすいエピソードがあるので、それを引用する

大学で教えていた頃のことである。一人の学生が「授業を休んでもかまいませんか?テニスの合宿があるので」と言ってきた。
行かなければならないのか?、それとも行くことを選ぶのか、どちらだね?」と私は聞いた。
「実は、行かなくちゃいけないんです」
「行かないとどうなるんだい?」
「チームから外されます」
「そうなることについて、どう思う?」
「いやです」
「つまり、チームから外されないという結果が欲しいから、行くことを選ぶわけだ。では、授業に出なかったらどうなる?」
「わかりません」
「よく考えてみなさい。授業に出なかった場合の自然な結果は何だと思うかね?」
「先生は落第点をつけたりしませんよね?」
「それは社会的な結果だ。他人がもたらすものだ。テニスのチームに参加しなければ、プレーができない。それは自然な結果だ。授業に出なかった場合の自然な結果は?」
「学ぶ機会を失うことでしょうか」
「そうだ。だからその結果と他の結果を比べて、選択しなさい。私だったらテニスの合宿に行くほうを選択するだろうね。しかし、何かをしなければならない、などという言い方はしないでほしい」
「では、テニスの合宿に行くことを選びます」と彼はもじもじしながら答えた。
「私の授業を休んでまで?」と冗談半分でからかいながら言い返した。

引用:7つの習慣 25周年記念盤 92P

私はこの話が大好きだ。
初めて読んだ時、「~しなければならない」という状況は、生きていくうえで実は一つも無いという事実を突きつけられ、僕は良い方に衝撃を受けた。

「本日中に振り込まないといけないから、会社を早退して銀行に行かないといけない
「役所に行かないといけない
「子供を迎えに行かないといけない
「彼女にプレゼントしないといけない

確かにこの言い方だと、まるで自分の意志が反映されていない
しかし上記はどれも、「自分が最善だと思った選択肢」ということである。
我々は、無意識のうちに最善の選択しを編み出し、それ以外の選択を取ることは愚行だと思い込んでいるため、「しなければならない」の世界で生きているのだ。

想像力を膨らませれば、あらゆる選択肢が浮かび上がってくる
知恵や知識が多いと、それだけ選択肢も膨らむ
そして行動の勇気があれば、選択肢の幅が広がる。

例えばムカつく奴が会社にいたら、僕は以下のような選択肢が生まれると思う。

①そいつから距離を置く
②歩み寄って仲良くなろうと努力する
③出世して自分の影響力を高める
④そいつを殺す

④の「殺す」という選択肢を選んだ場合、自然な結果としてあらゆるものを失い、自分自身刑務所送りになるだろう。
しかし、「あのムカつく奴と共存するより、刑務所の方が幸せだ」と思えるなら、ある意味ではこれも正解と言える。

アドラー心理学の「目的論」

後で気付いたが、7つの習慣で紹介されているこの考え方は、「目的論」に沿ったものである。
先に言っておくが、僕はこの「目的論」が大好きである。

目的論とは「全ての感情や行動はある目的を達成するために生み出される」
という考え方で、「問題解決」と「目標達成」に適している。

引用:アドラー心理学:【目的論】は「問題解決」と「目標達成」に適した考え方 | ビジネスコミュニケーション最適化ブログ

目的論は、あらゆる感情についても「本人が目的を持ってその感情を選択している」と言っている。
時に、症状等についても目的論で説明することができる。

目的論の対局にあるのが、ユングやフロント が提唱していた「原因論」であり、この考え方が一般的に根付いている。

目的論と原因論の違いを説明してみる。

例えば、あなたは学校へ行くとお腹が痛くなる。それはなぜか?

【原因論】
・トラウマがある
・嫌な科目がある
など「原因」を考える

【目的論】
・学校に行きたくないということの意思表示
・注目してほしい
という「欲求」「目的」を考える

原因論では症状は過去に起因していると考えているが、目的論では現状の意志をアピールするために「腹痛」を利用していると考えている。

もっとフランクな内容だと、「飲み会を休む」という例えが面白い。

【原因論】
・体調が悪い
・他に用事がある

【目的論】
・単純に行きたくない
(体調が悪い等は”後付け”)

「体調が悪いので参加できません」
というのは、7つの習慣であった「しなければならない」の話と同じである。
目的論に沿って考えると、体調が悪くても飲み会に行きたければ行くはずである。

しかし、体調が悪いから行かない方を優先しているだけであって、本人の気持ちとしては「行きたくないと思っている」が正解である。

「いやいや、みんなで集まっての飲み会なんて久しぶりだから、どうしても行きたかったんだけど本当に頭が痛いんだ」
と言われるかもしれない。

でもその症状によって、「行きたい気持ち」と「行きたくない気持ち」がそれぞれ「51:49」くらいに傾いてしまって、最終的に「行かない」という選択肢を取ったのであれば、それは間違いなく「頭が痛くて行きたくなかった」ということである。

もちろん現代社会において「行きたくありません」なんて言うと印象が悪いので、たいていが「体調が悪いので参加できません」という言い方になるだろう。

そろそろホームレスの話をしようと思う。

ホームレスは自由を満喫しているのか?

ホームレスは例えだが、僕は、文明を捨て、どこか誰も知らない土地で自給自足のサバイバル生活をしている人に憧れを感じる
それは「自由に見える」からだ。

ホームレスもある意味サバイバルをしているように見える。
家は無いが、現代社会を生き抜く社会人と違って制限も無く、比較的自由気ままに生きているように見えるため、仕事に追われている人にとっては時に羨ましくも見える

しかし、選択肢の多さはどうだろうか?

例えば僕は今、キレイな服を着ている。
洗濯機で洗濯するという選択肢を取ったからだ。(気にしないでほしい・・・)

逆に僕は、洗濯しない服を着るという選択肢を取ることもできる。
自分の中で「清潔な服を着たい」という欲求があるから洗濯しているのである。

また、僕は家のベッドで寝ることもできれば、外のベンチで寝ることもできる。
仕事に行くこともできれば、それを辞めてホームレスになることもできる。

選択肢の数で言えば、きっとホームレスになった僕より、今の僕の方が圧倒的に多い。

ホームレス、またはミニマミストという考え

「ファイトクラブ」に出てくる「タイラー・ダーデン」という男は、めちゃくちゃなミニマミストで、「物質的に満たされると自由を奪われる」と強く説いている。

ファイトクラブに登場する「タイラー・ダーデン」
ファイトクラブに登場する「タイラー・ダーデン」

ファイトクラブ主人公の「僕(エドワート・ノートン)」は、退屈な生活に不満を抱いてはいるが、IKEAで買った家具を揃えることに喜びを感じていた。
しかし後に友人となるタイラーは、所持品が自分を縛り付けると考えているため、何も持たず、常に開放的な人生を送っている。

このことから、タイラーは「自由=制限が無い」と捉えていることが分かる。

タイラー・ダーデンは、映画史上最もカリスマ性のあるキャラクターで、この「究極のミニマミスト思考」はやはり男なら誰もが憧れるものである。

しかしタイラーは創造上の人物で実在しない(※ネタバレになるかも)うえに、かなり頭が良いので、どんな状況下でも選択肢は常に多いものと思われる。

だから簡単に究極のミニマミストになることはできない。

”ホームレスの自分”と”今の自分”、どちらが自由か考えてみた – まとめ

今の自分の方が自由だ。
改めて、僕は最高に自由な環境で生きている。
言ってしまえば、最悪死ぬこともできる。

「自殺マニュアル」という本があるが、あの本は「本気で死を考えた後に生まれる選択肢もある」と真っ先に説いている。

冒頭で書いた「税金や年金を払うことによる制限」も、目的論によれば「自分の周りの道路や施設の状態を維持するために、払うことを選択してる」と捉えることができる。

どうしても払いたくなければ、滞納するという選択肢や、ホームレス、国外で生活など、あらゆる手段から選ぶことができる。

だから、「いやいや払っている」というのは、「払いたい」のと同じものだと思ってる。

タイトルに入れていた「ホームレス」の話が、思った以上に盛り上がらなかったのが悔しいが、僕は今、自分で選んで買った家具、家電に囲まれ、自分の意志で仕事に行ったり、休んだりしている今の生活が凄く自由に感じられ、そして幸せを満喫してると言える。やったぜ



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