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誰だって、人に親切をする時は勇気を出している

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ぱっかん
執筆者:ヘタレブロガーのぱっかん(@pakkan316

ぼくは稀に人に親切をする。
誰かが自転車をドミノ倒しにしていたら、立て直しを手伝ってあげるし、 誰かが何かを落としたら積極的に拾ってあげる

自分に痛みが伴わない程度であれば、僕は積極的に親切をしている方だと思う。

しかし毎回、親切をする為に結構な勇気を必要としている

※関連記事は最後にまとめて紹介します

親切をする事で、その人と自分を救う

自分勝手な僕は、それを見ると自分も病むという理由で、人が困っているのをあまり見てられない
例えば駐輪場でドミノ倒しをしてる人がいたら、「当事者はきっと恥ずかしいだろうな」と勝手に思ってしまい、こちらまで恥ずかしくなってしまう。

これを「共感性羞恥心きょうかんせいちしん」と言ったりするそうだが、とにかく僕はそのせいでこちらまで嫌な気持ちになる

でも僕は「ドミノ状態になっても、自分一人じゃなかったら恥ずかしくない」ということを知っている。

状況を一人で立て直すか、二人で立て直すか、それだけの違いで当事者の心持ちは大きく変わる

だから僕はこういう時に親切をする。
自分の心を軽くするために親切をする。

僕は今なお「見たくないものは徹底して見ない主義」を貫いており、関わらなくても済む問題やニュースは基本見ないようにしている。

 

しかし目の前で起きてしまった「自分で解決できる範囲の問題」には出来る限り携わっている。

そうしないと後でムカツいてくる。

「親切」のチャンスを逃したら、むしろ悔しくなる

明らかな形で目の前で誰かが困ったら、きっと誰しもが迷うと思う。

「助けるべきか」
「これは自分が行くべきなのか」
「誰かが行ってくれるだろう」
「いやでもやっぱ自分で行った方がいいか」
「あ、あの人がが行ってくれた、自分は行かなくていいや」

僕もたまにこういう「一瞬の迷い」のせいで、でしゃばり損ねてしまうことがある。

出遅れた場合は「真っ先に駆け付けた人」の手だけで足りるので無理にでしゃばる必要はないが、未熟な僕は「先を越された」という点で悔しくなってしまう

例えるなら「めっちゃ可愛い子といい感じになったのに、その後躊躇してしまったせいでチャンスを逃した」というような後悔。

 

(「あなたが強引に来てくれればOKしたのに、躊躇してる間にカレが来たからこっちにするね」と言われてるような感覚)

また、「最終的に助けてあげなかった」ということで、「助けてあげようとする気持ちはあった(けど迷っていた)」という心境を周りに伝えられない

ただの「助ける気なんてなかった奴」でしかない

「先を越された」という事実に直面した後、性格が歪んでいる僕はそんなクッソどうでもいいことを考えてしまう。

「親切」をしてる人が「無敵」に見えていた

というように、僕の心は偽善で溢れている

だからガチで親切してる人を見かけたら、「学生時代からボランティアとかしてたんだろうな」と勝手に解釈してしまう。

 

もっと分かりやすく言えば、僕が「色々考え込んだうえで親切してる」のに対し、ガチで親切してる人は「何も考えず体が動くままに助けてあげてる」ように見える。

まるで聖人君子せいじんくんし

一つもウソをつかず、誰にでも笑顔で接し、仕事もバリバリできる。
「何の躊躇も見せず瞬間的に親切してる人」を見て、僕はいつもそう思っていた。

でもこないだ僕がある親切をした後、自分でもビックリするくらい手際が良く、そしてアイドル気取りかのようにハキハキとした滑舌で対応したので、「今の自分は周りから“聖人君子”に思われたかもしれない」となんとなく考えた。

もちろん僕は「偽善」でやっているつもりなので、「ガチの親切な人」とは違う人種だと思っている。

でも今の一手で、周りの知らん人から「ガチの人」と思われたのではとちょっと心配した。(自分のキャラ的に)

そしてそこでハッとした。

本当はみんなドキドキしている

「トラブル」と言うイレギュラーイベントに遭遇した際、誰だって一瞬考える。
「ガチの人」だって本当は考えているに違いない。

 

と言うか僕が勝手に「ガチの人」と決めつけているだけで、心境の推移はこちらと同じだろう。

一見ナチュラルに自信満々で人を助けてるように見えても、意外と内心はドキドキしてるかもしれない。
僕のように。

そう考えると、人間ってそんなに大差がないんだなと思えるような気がした。

誰だって、人に親切をする時は勇気を出している:まとめ

“親切チャンス”を逃してしまい、「あの時にちゃんと勇気を出せばよかった。」と後悔することがある。
そして同時に「あそこで自分じゃなくて〇〇さんがいたらちゃんと助けていただろうな」と「ガチの人」に置き換えて考えることもあった。

でも「ガチの人」だって考えることは同じ。
その後の行動をするかしないか。

結局のところ皆迷う。
だから人を救えなくとも、恥じたり、後悔する必要はない。

また、我々日本人は恥ずかしがり屋なので、「非日常イベント」にエンカウントした場合に思考停止しがち。

この辺の凡人思考を捨てて、どうにか「成功型サイコパス」になりたい。




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この記事をこねた人

名前:ぱっかん
日常のクッソどうでもいいことが、鬼のように幸せに感じられる性格をしています。

なので思い切って「人生は映画だ」というテーマでブログを始めました(厳密には途中でそういうテーマに切り替えました)。
些細な毎日がどれだけ素晴らしいかを、いわゆる「引き寄せ系アラフォーブロガー」等とは違う路線で伝えられたらと思ってます。

「内省」という資質に優れており、それを活かした映画系の記事が得意。
→「当ブログ」と「ぱっかん」について

【職業】web諸々
【趣味】考えをまとめる・散歩・映画
【好きなファッション】ウォーキングデッドに出てきそうな奴
【好きな食べ物】ネオソフト・きなこご飯
【ストレングスファインダーの結果】着想/最上志向/内省/共感性/運命思考